ジェネラル・サポート「太平洋戦記3 最終決戦」の攻略情報は…

40年1月第2ターンから

1940年1月第2ターン

川崎重工神戸造船所で行われていた「高速輸送船」→「特設水上機母艦」3隻の改装工事が完了しました。護衛艦隊の旗艦として運用する予定。

 

具体的には、水上機を飛ばして対潜哨戒にあたります。防御力が低いのが難点ですが、工期の短さは魅力ですね。

 

1940年1月第3ターン

『龍驤』『鳳翔』といった、比較的燃費のよい軽空母を、当面は航空機輸送艦として運用します。

 

『99式襲撃機』は陸軍機ですが、国家備蓄からいったん呉に配備して軽空母に載せ、大連に運んでそこから太原に飛ばします。航続距離が短いので、こういうことをしないといけません。

 

太原では飛行場を整備中。華北ににらみを効かす航空基地とします。

 

1940年1月第6ターン

機動90式野砲。対装甲火力は『改造38式野砲』の36に比べて45と優秀ですが、それ以外の点では特に見るべきものがないので、開発中止。軽油も消費するし。

 

1940年2月第2ターン

栄1型発動機、開発完了。『零戦21型』をはじめ多くの機体に搭載される発動機です。この後は『栄2型』の早期開発を目指します。

 

1940年2月第3ターン

『金剛』『霧島』の装甲空母への改装工事も終盤です。次に改装を施される『比叡』『榛名』を、それぞれ横須賀と佐世保から呉に回航します。

 

1940年2月第7ターン

巡洋戦艦『比叡』『榛名』の装甲空母への改装工事の準備です。

 

工事中の『大和』をいったん出渠、代わりに『比叡』『榛名』を順番に入渠させて空母への改装を指定し、上部構造物をとっぱらってから出渠、あとは『金剛』『霧島』の工事完了後にすぐ『比叡』『榛名』の工事を始めます。

 

もちろん『大和』は元どおりに入渠させて工事を続行します。

 

1940年2月第8ターン

米が限定禁輸措置80%発動。重油の国家備蓄が20万トンを超えると、これを発動するようです。わが国の備蓄量まで正確に把握しているとは、米国の情報網、侮れませんね。

 

ちなみに、米国が禁輸措置を発動すると、英蘭も右へ倣え。しかしソ連は同調しません。

 

1940年2月第9ターン

あきつ丸、開発中止。戦標船(戦時標準輸送船)まで最速で開発を推進します。

 

1940年3月第1ターン

太原の航空基地の規模が200を超えました。配備された『99式襲撃機』も200機に達したので、試しに鄭州を爆撃。

 

第1次鄭州爆撃戦
日本軍攻撃隊:戦闘機41機 爆撃機174機
撃墜:戦闘機0機 爆撃機3機
戦果:陣地655低下 兵員4 後方10

 

『金剛』『霧島』の改装工事完了。高速戦艦が装甲空母になって生まれ変わりました。搭載機数は54機と少々少なめですが、洋上の航空機中継基地として運用するつもり。ゲーム内でうまく再現できるのでしょうか。

 

1940年3月第2ターン

呉工廠で『金剛』『霧島』に代わって『比叡』『榛名』の空母改装工事開始。

 

1940年3月第3ターン

呉工廠で『剣崎』『大鯨』の改装工事完了。潜水母艦から軽空母への変身です。

 

1940年4月第1ターン

めでたくチチハル近郊で油田が発見されました。いわゆる「大慶油田」ですね。「大慶」というのは地名ではなく、史実において油田が建国10周年の節目で発見されたことにちなむ言葉だそうです。

 

1940年5月第1ターン

空母『龍驤』の改装工事が完了しました。やはりこれも対空兵装の強化ということで、機銃が28門から48門に増設されています。

 

1940年5月第4ターン

過去18回にわたって鄭州への爆撃を行ってきました。これまで順調に陣地・兵員を削れていましたが、今ターンになって増援部隊が到着したらしく、前ターンに2308であった歩兵分隊が2600に増えてしまいました。

 

爆撃に動員されているのは、防御力10の『99式襲撃機』ですが、わずかとはいえ撃墜もされているので、心中穏やかじゃありません。適当なところで攻略・占領しておかないと、消耗戦に引きずり込まれてしまいます。

 

1940年5月第5ターン

陸戦兵器の操業率200%で、97式中戦車ほか大増産。鄭州攻略への布石です。

 

1940年5月第7ターン

『阿武隈』改装完了。軽巡から輸送艦に生まれ変わりました。2500トンの物資を積載できます。加えて、根拠地への入港ターンに揚陸可能なので、上陸作戦で活躍が期待されます。

 

1940年5月第10ターン

横須賀工廠で対空型練習巡洋艦『鹿島』が竣工しました。13cm高角砲6門・機銃38門・爆雷投射器6門を装備しており、練習艦とはいえ対空・対潜能力の高い艦です。

 

1940年6月第4ターン

23回にわたる空爆で鄭州の陣地をほぼ完全に破壊し、兵員にもかなりのダメージを与えました。この機を逃さず、鄭州攻略作戦を発動。

 

日本軍参加兵力:兵員1608 火砲1786 車両606 後方1950
日本軍損害:兵員136 火砲49 車両29 後方0
連合軍参加兵力:兵員2499 火砲553 車両0 後方6470
連合軍損害:兵員480 火砲97 車両0 後方370

 

火力にモノをいわせて中国軍を圧倒。鄭州攻略成功です。史実では、鄭州の攻略は1944年(昭和19年)4月19日、大陸打通作戦の前半(京漢作戦)の劈頭でした。

 

1940年6月第5ターン

チチハル油田で採掘された原油は、定期物動によってプサンまで送られてきます。プサンに貯蔵されたのちは、タンカーで佐世保に運ばれ、国家備蓄に入庫されるわけですが、その第一陣(高速タンカー)がプサンで原油12000トンを積み込みました。

 

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