ジェネラル・サポート「太平洋戦記3 最終決戦」の攻略情報は…

1941年(昭和16年) Vol.1

1月

第2ターン(4〜6日)

1月4日から10日にかけて、中国安徽省南部で皖南(かんなん)事変が発生しました。国民革命軍と共産党軍(新四軍)の武力衝突。原因はともかく、日本側としては非常に喜ばしい事件です。これで蒋介石が共産党撃滅に傾いてくれれば…。

 

第6ターン(16〜18日)

さて、華北でのゲリラ戦に行き詰まった八路軍総司令官の朱徳が、次第に焦りの色を濃くしていたことは前述しました。盟友の毛沢東からも厳しくせっつかれていたのでしょう。共産党としては、皖南事変で新四軍が壊滅したことも影を落としていたと思われます。

 

そこで、彼が事態打開のために選択したのは、数を頼みとした正面攻撃で霊州の日本軍航空基地を奪取する作戦。しかし、小部隊でのゲリラ戦を得意とした八路軍がいきなり大規模な正攻法に切り替えても、うまくいくはずありません。

 

しかも、これは日本軍が仕掛けた罠。霊州守備隊の兵力を段階的に減らし、八路軍を強固な防衛正面(陣地規模6000)におびき寄せた上で、火砲を集中して叩きまくるという誘引迎撃戦法でした。

 

霊州(地形:湿地)の天候は雪(耐久力:+15)で地表状態は凍結。湿地では気温が下がり過ぎる(厳寒)と、地表が凍結します。凍結が発生すると落伍率が普段より低くなるので、攻める側にとっては有利となりますが、一方では降雪によって陣地の耐久度は上昇し、その分、防衛側も有利になります。

 

第1次霊州防衛戦
日本軍参加兵力:兵員81 火砲741 車両0 後方0
日本軍損害:兵員14 火砲13 車両0 後方0
連合軍参加兵力:兵員1512 火砲324 車両0 後方4320
連合軍損害:兵員516 火砲117 車両0 後方511

 

連合軍(八路軍)の損害・516歩兵分隊に対して、日本軍はわずか14分隊の喪失にとどまりました。史実における日本軍vs中国軍の戦いと比べても妥当なところでしょうか。

 

こうして罠にはまった八路軍、この後しばらくは、ひたすら正面からの攻撃を繰り返すばかりで、いたずらに兵力を損耗していくこととなります。

 

ちなみに、この誘引迎撃戦を含めた洛陽攻略までの一連の戦いを、「立(りつ)号作戦」と呼称することに決定。

 

作戦の内容は

  • 立1号作戦:霊州要塞への八路軍誘引迎撃
  • 立2号作戦:鄭州および洛陽の陣地爆撃
  • 立3号作戦:第2軍による鄭州攻略
  • 立4号作戦:第2軍による洛陽攻略

太平洋戦記,太平洋戦争,大東亜戦争,攻略

 

第7ターン(19〜21日)

前ターンに続き、誘引迎撃戦法に引っかかって攻めてきました八路軍。

 

第2次霊州防衛戦
日本軍参加兵力:兵員45 火砲705 車両0 後方0
日本軍損害:兵員17 火砲17 車両0 後方0
連合軍参加兵力:兵員996 火砲207 車両0 後方3600
連合軍損害:兵員266 火砲63 車両0 後方184

 

今回も鎧袖一触で撃退。

 

第8ターン(22〜24日)

またしても…。

 

第3次霊州防衛戦
日本軍参加兵力:兵員18 火砲676 車両0 後方0
日本軍損害:兵員9 火砲9 車両0 後方0
連合軍参加兵力:兵員994 火砲105 車両0 後方3625
連合軍損害:兵員327 火砲41 車両0 後方384

 

第10ターン(28〜31日)

第4次霊州防衛戦
日本軍参加兵力:兵員63 火砲721 車両0 後方0
日本軍損害:兵員15 火砲16 車両0 後方0
連合軍参加兵力:兵員1260 火砲266 車両0 後方3600
連合軍損害:兵員291 火砲71 車両0 後方184

 

1月29日、呉工廠をかかえる呉市において、防諜のため、官公庁・学校などの建物の写真撮影や絵画作成が禁止されることになりました。おそらくこれは、呉鎮守府司令長官(日比野正治中将)発令によるものと思われます。

 

2月

第2ターン(4〜6日)

佐世保工廠で、祐鳳(瑞龍)型空母の4番艦『天鳳』を起工。

 

第6次霊州防衛戦
日本軍参加兵力:兵員27 火砲687 車両0 後方0
日本軍損害:兵員5 火砲7 車両0 後方0
連合軍参加兵力:兵員888 火砲135 車両0 後方2921
連合軍損害:兵員225 火砲40 車両0 後方291

 

着実に八路軍を崩壊へと導きつつある誘引迎撃戦法ですが、調子に乗って連発すると、敵が一時的に誘いの手に乗らなくなるようです。だいたい連続3ターン目になると、日本軍の前衛部隊(砲射程1の車両と火砲、兵員)の数を1桁にまで減らさないと、八路軍が行動を起こしません。総司令官の朱徳も、多少は学習能力を持っているということでしょうか。

 

ただ、極度に前衛部隊を減らしてしまうと、防衛戦に敗れて拠点を奪われ、元も子もなくなるので、難しいところです。

 

以降、霊州防衛戦については記述を省略。

 

第6ターン(16〜18日)

和製ブルドーザーの試作が完成しました。実用化まで引き続き開発を継続します。

 

3月

第1ターン(1〜3日)

駐独日本大使の大島浩から、ドイツ軍のソ連侵攻について警告する極秘電報が東京に届きました。同盟国に対する遠慮からか(大島はとりわけ親独)、「特別なる注目を要す」という表現にとどめて、断定的な予測はしていませんが、英国情報部の周辺で潜入活動している諜報員からも、断片的ながらこれを裏付ける情報が上がってきており、かなり確度の高い警告です。

 

さらに情報収集に努めた結果、作戦秘匿名は「バルバロッサ」、発動予定時期は5月、動員兵力は約300万人といった詳細が明らかになってきました。

 

当然、ソ連にも同様の情報は集まっていましたが、スターリンをはじめとするソ連首脳部は、「独ソの協力関係を破壊し、我々を戦争に引きずり込もうという、英国の謀略ではないか」と疑っており、ドイツ軍への挑発につながる独ソ国境での防衛準備が本格的に行われる様子はありませんでした。

 

加えてソ連では、スターリンによる“大粛清”の結果、多数の優秀な将校が処刑されたり、収容所に送られたりしており、奇襲に即応できる態勢が整えられていなかったのです。

 

さて、大島駐独大使からの警告を受けて、わが国の対応を協議するために最高戦争指導会議が招集されました。結論は、「バルバロッサ」に呼応する対ソ奇襲攻撃の実行

 

史実では「関東軍特種演習(関特演)」でお茶を濁しつつ、対ソ強硬派のガス抜きを図りましたが、この世界では乾坤一擲の勝負に出ます。

  1. 在満兵力をハイラルに集中させ、ボルジャ→カムイルスカヤ→ネルチンスクを一気に突破。
  2. チャムス(佳木斯)・東安、樺太の敷香・大泊は放棄。孫口・牡丹江で完全にソ連軍の侵攻を阻止。
  3. ネルチンスク攻略後に速攻講和。

目的は、ゲーム上の都合ですが「ソ満国境に展開する膨大な兵力の転用」「原油取引の安定化」です。それで、兵力の転用先は、どこかというと中国戦線。敵の人海戦術に対するに、ありったけの人的資源を投入して、一気に日中戦争にカタをつけるもくろみです。

 

このように、戦争が大きな転換点を迎えるにあたり、公家宰相・近衛文麿は

 

「戦争には自信がない。自信ある人にやってもらわねばならん」

 

と述べて内閣総辞職。木戸幸一内大臣らの動きもあって、東条英機陸相に大命が下りました。対米強硬派の陸軍を抑えることが可能な戦時内閣を作る必要があるとの判断です。昭和天皇も東条推挙の上奏に対して「虎穴にいらずんば虎児を得ず、だね」と答えられたとか。

東条内閣が誕生する以上、軍需大臣は、西条英俊を置いてほかにない、と考えるのが順当なところであるはずなのだが、当人は渋っていた。大臣となると新聞記者にも常時つきまとわれ、形式的な仕事も多くなって、動きにくい、という。

 

「だからといって、ほかに適任者がおるかね」と、東条は言う。

 

「軍需省の権限をいっそう強化する以上、陸海軍どちらから大臣を出しても、角が立つ。だからと言って、文官でも、今この時期に軍需大臣をやりたがる者などおらぬ」

 

「だから私だって、やりたくない、と言ってるじゃないですか」

 

「屁理屈を言うな」(「真・大東亜戦争」より)


…といったやり取りの後、「わかりました。やれば、いいんでしょう」のひと言で西条英俊氏の軍需大臣就任が決まりました。1941(昭和16)年3月3日のことです。

 

第2ターン(4〜6日)

放棄が決まった樺太の敷香(しすか)・大泊(おおどまり)の両町ですが、兵員・兵器だけでなく、当然ながら民間人も居住しているので、引揚は一大事業です。

 

史実では、1941年12月1日時点で敷香は3万人、大泊は2万人あまりの人口を抱えているので、できることならそのまま平穏に暮らしていてもらいたいのですが、対ソ開戦すると、サハリン(北樺太)のアレクサンドロフスクから2個師団弱の兵力が南下してきます。南樺太の駐留兵力(1個旅団強)では到底防ぎきれません。

 

敷香から大泊まで鉄道(樺太庁鉄道の樺太東線)で、住民・兵員・物資の一切合財をピストン輸送。大泊からは船で釧路または青森に引き揚げます。

 

樺太の鉄道については、こちらのサイト「樺太旅客鉄道株式会社」が情報豊富です。

 

第4ターン(10〜12日)

待望の和製ブルドーザーの開発が終わりました。さっそく生産に入ります。とりあえず200台あまりを揃える予定。

 

第5ターン(13〜15日)

明石型工作艦の2番艦『三原』が舞鶴工廠で竣工しました。3番艦『桃取』は川崎重工神戸造船所で(1941年6月竣工予定)、4番艦『高崎』は横須賀工廠で(1941年11月竣工予定)建造中です。

 

太平洋戦記,太平洋戦争,大東亜戦争,攻略

 

第6ターン(16〜18日)

『零式水偵』の開発を始めます。もっと早期に着手すべきだったのですが。

 

このゲームでは、川崎航空機工業と愛知航空機が合併(?)し、「川崎・愛知航空機」として軍用機の開発にあたっているのですが、この時期に開発を進めたい機種『99式双軽2型』『零式水偵』『2式複戦甲』が、川崎・愛知航空機製に集中しています。

 

問題は、3機種以上の開発ラインを同時進行させているメーカーには疲労が発生すること。『99式双軽2型』は最優先としても、順番を間違えて『2式複戦甲』の開発を先行させてしまったので、この試作が完成するまで『零式水偵』の開発に着手できませんでした。あるいは、開発スタッフの疲労など無視という選択もありましたけど。

 

ページの先頭に戻る
《→ 1941年(昭和16年) Vol.2 に続く》

太平洋戦記3 最終決戦

大戦略 大東亜興亡史-ニイタカヤマノボレ一二〇八-

KOEI The Best 提督の決断4




ホーム 入門編 基礎編 発展編 プレイレポート