ジェネラル・サポート「太平洋戦記3 最終決戦」の攻略情報は…

1941年(昭和16年) Vol.6

 

9月

第1ターン(1〜3日)

日本軍の西寧占領を受け、漢口において第1回の日中和平交渉が開催されました。日本側の全権代表は、外務次官・西春彦と第2軍司令官・西尾寿造大将、中国側は国民政府の軍事委員会参謀総長・何応欽(かおうきん)です。

 

日本側要求の目玉は「北京から南寧に至る大陸縦貫鉄道(建設予定)の10年間租借」でしたが、中国側はこれを拒否して物別れに。もっと蒋介石を追い詰めないといけません。

 

雲龍型空母『景龍』が青森(大湊警備府工作部)にて竣工。雲龍型空母の2番艦です。

 

第2ターン(4〜6日)

彗6号作戦、発動。

 

第1次柳州攻略戦
日本軍参加兵力:兵員2430 火砲954 車両54 後方4500
日本軍損害:兵員0 火砲0 車両0 後方0
連合軍参加兵力:兵員8 火砲10 車両15 後方22
連合軍損害:兵員2 火砲3 車両4 後方0
柳州占領(第1軍)

 

10個師団で大攻勢をかけると、国府軍はあっさり退却。中国側の損害は歩兵分隊2。よほど要領の悪い分隊長だったのでしょうか。

 

第3ターン(7〜9日)

第1次南寧攻略戦
日本軍参加兵力:兵員243 火砲954 車両54 後方900
日本軍損害:兵員33 火砲51 車両4 後方0
連合軍参加兵力:兵員631 火砲149 車両5 後方0
連合軍損害:兵員631 火砲149 車両5 後方0
南寧占領(第1軍)

 

南寧の占領を以って、彗号(大陸打通)作戦が終了。7月第4ターン(10〜12日)の鄭州攻略からわずか2ヶ月足らずで、大陸縦貫鉄道建設ルートをぶち抜きました。

 

引き続き国府軍を掃討しながら、蒋介石ら国民政府首脳がたてこもる重慶を目指す(第4軍)一方で、対英開戦を念頭に置いて仏印進駐を行います。南寧が中国領のままで仏印に進駐すると、生意気にも国府軍がランソンに侵攻し、下手をするとハノイやユエあたりまでが一時的にせよ敵の手に落ちる危険がありますが、今次大戦ではその心配はなし。

 

第4ターン(10〜12日)

さて、仏印進駐。フランス・ヴィシー政権との間で交渉は成立しており、現地の日仏軍司令部間で軍事協定も結ばれているので、進駐に際しては何の問題も起こらない……はずでしたが、悪名高き愚将・富永恭次の不手際によって散発的ながら戦闘が発生し、数百人の死傷者を出す事態に。

 

富永は責任をとらされる形で左遷され、以降、表舞台に立つことなく、歴史からフェードアウトしていきました。帝国陸軍、いや日本にとって、この上なく喜ばしい展開です。

 

第5ターン(13〜15日)

550機あまりの『99式襲撃機』で、次の攻略目標である貴陽(結2号作戦)の陣地を爆撃。

 

第1次貴陽爆撃戦
日本軍攻撃隊:爆撃機203機
撃墜:爆撃機4機
戦果:陣地785低下 兵員3 後方20

 

第2次貴陽爆撃戦
日本軍攻撃隊:爆撃機203機
撃墜:爆撃機3機
戦果:陣地705低下 兵員3 後方20

 

第3次貴陽爆撃戦
日本軍攻撃隊:爆撃機147機
撃墜:爆撃機3機
戦果:陣地480低下 兵員3 後方10

 

第6ターン(16〜18日)

発動機『護』が完成度60%に到達。『護』を搭載する飛行機は『天山艦攻11型』と『深山改』。どちらの機も実用化しないので、発動機もここで開発中止。

 

第1軍と第3軍が仏印を通過してタイに向かいます。第1軍はそのまま北上して英領ビルマへ、第3軍はサイヨクからマレー半島を南下してシンガポールを目指します。今次の戦いでは、コタバルへの強襲上陸はしません。重油の消費を避けるために、できるだけ艦隊を動かしたくないのです。

 

一方、西寧まで進出して中国共産党を殲滅した第2軍は、治安維持部隊を残して来た道を引き返します。

 

結2号作戦。さらに2度の爆撃を加えたのちに、地上部隊が突入。

 

第4次貴陽爆撃戦
日本軍攻撃隊:爆撃機203機
撃墜:爆撃機4機
戦果:陣地750低下 兵員2 後方40

 

第5次貴陽爆撃戦
日本軍攻撃隊:爆撃機204機
撃墜:爆撃機4機
戦果:陣地745低下 兵員2 後方70

 

第1次貴陽攻略戦
日本軍参加兵力:兵員243 火砲792 車両54 後方900
日本軍損害:兵員12 火砲32 車両2 後方0
連合軍参加兵力:兵員1357 火砲643 車両6 後方12300
連合軍損害:兵員64 火砲8 車両4 後方40
貴陽占領(第4軍)

 

投入兵力1個師団で、5個師団あまりの国府軍を降伏に追い込みました。国府軍の士気低下は目を覆わんばかりです。

 

第7ターン(19〜21日)

結3号作戦。

 

第1次遵義爆撃戦
日本軍攻撃隊:爆撃機203機
撃墜:爆撃機6機
戦果:陣地705低下 兵員2 後方70

 

第1次遵義攻略戦
日本軍参加兵力:兵員243 火砲760 車両52 後方900
日本軍損害:兵員13 火砲21 車両2 後方0
連合軍参加兵力:兵員1268 火砲673 車両1 後方13497
連合軍損害:兵員50 火砲23 車両1 後方20
遵義占領(第4軍)

 

いよいよ重慶への侵攻が秒読み段階に入りました。

 

第9ターン(25〜27日)

第1軍がプノンペンに、第3軍がサイゴンに到達。対英戦の準備が完了しました。

 

それに先立つ9月20日、東条英機首相は英国のウィンストン・チャーチル首相宛に親書を送付。親書といっても、内容は相当なものです。

 

  • 英国は、ドイツとの講和に応じること
  • 香港、シンガポールよりすべての軍事力と警察力を撤収すること
  • インド独立について話し合いを持つこと。その際、日本の保護下にあるラース・ビハーリー・ボース氏が率いるインド独立連盟を、インド側全権代表と認めること

 

これらの条件を拒否した場合は、

「アヘン戦争以来、英国はアジアにとって恒久的な脅威であり、現実に侵略者であった。大日本帝国は、同じアジアの文化を共有する諸国民を、英国が支配し搾取することを、これ以上座視してはいないであろう」(「真・大東亜戦争」より)

 

まさしく最後通牒です。しかし、英国が、特にチャーチルがこのような条件を呑むはずはありません。9月22日、英国は日本側の提案を拒否する旨を返電。

 

そして9月25日、日本は、英国・フランス・オランダ亡命政権に対して、国交断絶を通告し、さらに宣戦を布告。直後に、日本とタイの間に攻守同盟が締結され、日本軍はタイ国内の通過と作戦行動を行うことができることになりました。

 

太平洋戦記,太平洋戦争,大東亜戦争,攻略

 

対英宣戦布告にともなって、ゲーム上では、なぜか対仏印戦が勃発。日本−仏印間には軍事協定も締結されているというのに……。自由フランスを支持する一部部隊との交戦ということで処理します。実際、戦闘は発生していませんし。

 

なお、対濠戦も勃発してしまいましたが、これは仕方ありませんね。

 

対英戦最初の戦場になったのは、香港。

 

第5軍から抽出された4個師団(第50師団〜第53師団)で、九龍半島の255高地から英軍陣地線を突破。開戦前の情報では、強固な要塞群が構築されているということでしたが、実際には、ほとんど大砲などは据えられておらず、攻略部隊は苦もなく九龍半島を制圧。

 

続いて、九龍半島から香港島へ。啓徳飛行場の正面にあたる海岸に上陸しました。

 

史実では、英軍は、北角、ビクトリア市街、ニコルソン山中腹、金馬倫山、赤柱半島要塞などで激しく抵抗。上陸初日の戦闘だけで、日本軍の死傷者は600名を数えたそうですが、この世界では、攻略戦の全体で損害を24個分隊(約240名)に抑えることができました。

 

第1次香港攻略戦
日本軍参加兵力:兵員972 火砲869 車両54 後方1800
日本軍損害:兵員24 火砲9 車両0 後方0
連合軍参加兵力:兵員291 火砲158 車両16 後方0
連合軍損害:兵員291 火砲158 車両16 後方0
香港占領(第5軍)

 

艦艇の開発・建造に関する情報です。

 

駆逐艦『島風』対空型の開発が終了。水上戦速は39ノット。36ノットの最上型軽巡と高速囮艦隊を編成予定。

 

翔鶴型空母2番艦『瑞鶴』が川崎重工業神戸造船所で竣工。僚艦『翔鶴』とともに第4航空戦隊を編成します。

 

第10ターン(28〜30日)

岡村寧次大将率いる第1軍が国境を突破し、英領ビルマになだれ込みました。玉(ぎょく)号作戦のの発動です。

 

第1次モールメン攻略戦
日本軍参加兵力:兵員2430 火砲995 車両50 後方4500
日本軍損害:兵員0 火砲0 車両0 後方0
連合軍参加兵力:兵員387 火砲304 車両44 後方390
連合軍損害:兵員3 火砲6 車両0 後方1
モールメン占領(第1軍)

 

第1軍には、のちに「ビルマ建国の父」と呼ばれるアウンサン(アウンサンスーチー女史の父親)やフラミヤインを中心とするビルマ独立義勇軍が同行しています。ちなみに、ビルマ独立運動の支援を任務とした「南機関」の機関長・鈴木敬司陸軍大佐が軍司令官を務めています。

 

マレーにも進撃を開始。こちらは震(しん)号作戦。

 

第1次メルギー攻略戦
日本軍参加兵力:兵員2430 火砲807 車両54 後方4540
日本軍損害:兵員1 火砲0 車両0 後方0
連合軍参加兵力:兵員114 火砲36 車両0 後方20
連合軍損害:兵員4 火砲12 車両0 後方0
メルギー占領(第3軍)

 

ページの先頭に戻る
《→ 1941年(昭和16年) Vol.7 に続く》

太平洋戦記3 最終決戦

大戦略 大東亜興亡史-ニイタカヤマノボレ一二〇八-

KOEI The Best 提督の決断4




ホーム 入門編 基礎編 発展編 プレイレポート