ジェネラル・サポート「太平洋戦記3 最終決戦」の攻略情報は…

1941年(昭和16年) Vol.7

10月

第1ターン(1〜3日)
第1次シンゴラ攻略戦
日本軍参加兵力:兵員486 火砲807 車両54 後方900
日本軍損害:兵員0 火砲0 車両0 後方0
連合軍参加兵力:兵員179 火砲97 車両12 後方137
連合軍損害:兵員1 火砲0 車両0 後方4
シンゴラ占領(第3軍)


第3軍によるマレー作戦には、9月18日に発足したばかりのF機関も帯同しています。

F機関は、参謀本部8課から派遣されてきた藤原岩市少佐をトップとする工作機関で、藤原少佐の名とフリーダム(自由)・フレンドシップ(友情)などの頭文字をとって名付けられたとされています。目的は、英印軍のインド人将校を日本側に寝返らせるとともに、対英独立運動を側面から支援し、戦争を有利に進めること。

藤原少佐は戦争勃発以前から、偽名を使い、身分も外交官に偽装して、バンコクを拠点に活動していた。(「真・大東亜戦争」より)

同じくバンコクに本部があったインド独立連盟(=IIL。インド独立を目指すシーク族の秘密結社)と盟約を結ぶことに成功して、活動の足がかりを得たF機関は

マレー戦が始まると、インド人工作員を含めた40人ほどのメンバーを引き連れて最前線に出向き、英軍のインド人兵士に対するプロパガンダ工作を開始したのだった。「英国の番犬になるな。Fの旗のもとに集まれ」「ジャ・ヒンド(我らのインド)!」「チャロー・デリー(デリーを目指せ)!」(「真・大東亜戦争」より)

第2ターン(4〜6日)
第1次コタバル攻略戦
日本軍参加兵力:兵員486 火砲807 車両54 後方900
日本軍損害:兵員1 火砲3 車両0 後方0
連合軍参加兵力:兵員283 火砲125 車両11 後方246
連合軍損害:兵員1 火砲12 車両0 後方4
コタバル占領(第3軍)


史実では、開戦の翌日9日未明に、まずコタバル郊外の英軍飛行場(現スルタン・イスマイル・プトラ空港)を占拠。次いで同日14時にコタバル市街を制圧した模様ですが、この世界では、進軍ルートから考えて順序は逆になりました。英軍飛行場には、ソードフィッシュ艦攻が30機あまり配備されているだけで、陸上部隊にとって深刻な脅威にはならなかったため。

第3ターン(7〜9日)
第1次ペナン攻略戦
日本軍参加兵力:兵員486 火砲804 車両54 後方900
日本軍損害:兵員1 火砲0 車両0 後方0
連合軍参加兵力:兵員373 火砲138 車両10 後方248
連合軍損害:兵員1 火砲12 車両0 後方4
ペナン占領(第3軍)


10月9日、ここペナンで、モハンシン大尉を軍司令官とするインド国民軍(INA)が結成されました。兵力は約4000人。それが、シンガポール攻略の時点では、なんと45000人に膨れ上がることになります。

第4ターン(10〜12日)
計画どおり、抗日パルチザンが霊州で蜂起。

太平洋戦記,太平洋戦争,大東亜戦争,攻略

対中講和を有利にするための、日本側特務機関の工作に、いとも簡単に引っかかりました。

日中戦を集結させるための和平交渉は

(1)西寧占領直後
(2)綿陽占領直後
(3)中国全根拠地占領直後


の計3回行われ、第3回の交渉で、日本にもっとも有利な条件で講和できる仕様になっています。ところが、このままいくと、どうやら綿陽が最後の根拠地として残りそうな気配でありまして、そうすると(2)と(3)が同時に発生することになり、講和会議が2回しか開催されません。

それは非常に好ましくないので、現時点では戦略的にもっとも影響のない霊州で蜂起させ、一時的に中国側根拠地に戻してやったわけです。こうしておいて綿陽を攻略し、さらに改めて霊州を占領することで(3)が発生する、という算段です。

第5ターン(13〜15日)
山田乙三大将率いる第4軍が、ついに重慶に突入。

第1次重慶攻略戦
日本軍参加兵力:兵員243 火砲739 車両50 後方900
日本軍損害:兵員11 火砲25 車両2 後方0
連合軍参加兵力:兵員1334 火砲783 車両30 後方13685
連合軍損害:兵員35 火砲17 車両22 後方30
重慶占領(第4軍)


双方の損害から見て、ほぼ無血占領に近い状況。5個師団以上の兵力を残していながら、理解に苦しみます。

第6ターン(16〜18日)
第1軍所属の第30師団・第31師団およびビルマ独立義勇軍がラングーンへ(玉2号作戦)。この時点で、義勇軍の兵力は12000人に膨れ上がっています。

第1次ラングーン攻略戦
日本軍参加兵力:兵員486 火砲480 車両0 後方900
日本軍損害:兵員13 火砲4 車両0 後方0
連合軍参加兵力:兵員128 火砲75 車両0 後方0
連合軍損害:兵員128 火砲75 車両0 後方0
ラングーン占領


もはや退路のない英軍は、さしたる抵抗も示さずに降伏。反乱の罪で英軍に収監されていたバー・モウが、日本軍の手によって解放されました。

第7ターン(19〜21日)
戦標輸送船に続いて、戦標タンカーも量産可能になりました。チチハル油田で採掘された原油を運搬するためのプサン−佐世保航路および蘭印巡回航路に就航することになるでしょう。

第1次トングー攻略戦
日本軍参加兵力:兵員486 火砲842 車両50 後方900
日本軍損害:兵員1 火砲0 車両0 後方0
連合軍参加兵力:兵員312 火砲229 車両32 後方274
連合軍損害:兵員3 火砲6 車両0 後方1
トングー占領(第1軍)


史実では、トングー陣地は堅固な複廓陣地(城壁20メートル、厚さ12メートル、正面約300メートル)で、野戦重砲隊と爆撃機部隊による猛烈な砲爆撃を繰り返し、ようやく陥落させたそうですが、ここでは、日本軍の損害=歩兵1個分隊のみで突破。

第8ターン(22〜24日)
第1次クアラルンプール攻略戦
日本軍参加兵力:兵員1944 火砲822 車両54 後方3600
日本軍損害:兵員0 火砲0 車両0 後方0
連合軍参加兵力:兵員401 火砲191 車両21 後方350
連合軍損害:兵員3 火砲0 車両0 後方2
クアラルンプール占領(第3軍)


史実同様、ほぼ無血でクアラルンプールを奪取。

第1次メイクテーラ攻略戦
日本軍参加兵力:兵員486 火砲815 車両50 後方900
日本軍損害:兵員1 火砲0 車両0 後方0
連合軍参加兵力:兵員355 火砲229 車両31 後方277
連合軍損害:兵員1 火砲6 車両0 後方4
メイクテーラ占領(第1軍)


このゲームでは、ここメイクテーラで原油が採掘されますが、実際に油田があったのはメイクテーラから西に約150キロ離れたエナンジョン。英国植民地の中で唯一の油田でした。

第9ターン(25〜27日)
いよいよシンガポール攻略に着手します。

まず、カムランから出撃した第1機動艦隊の戦艦群(『長門』『陸奥』『伊勢』『日向』)による艦砲射撃(=震6号作戦)から。対ソ戦・対中戦では、まったく海軍の出番がなかったので、艦砲射撃とはいえ初めての活躍の舞台になります。

第1次シンガポール艦砲射撃戦(艦隊)
戦果:陣地554低下 兵員2


前作に比べて、明らかに艦砲射撃の威力は低下していますね。弾薬がもったいない。

装甲空母4隻(『金剛』『榛名』『比叡』『霧島』)も随伴しているので、艦載機による空爆という手もありますが、偵察によるとシンガポールの防空態勢は、ハリケーン1戦闘機30機、ボフォース40mm高射機関砲30門、3.7インチ高射砲95門という鬼のような強さなので、ここに99艦爆を突っ込ませる気には到底なれません。

あとは史実どおり、陸軍にお任せ……ということで、震7号作戦発動です。

シンガポールを守るべく設置された英軍要塞砲は、すべて南の海上に向けて固定されているので、北のジョホール水道を渡って迫る日本軍には無力です。

また、英軍は、日本軍の主力がセレター軍港や飛行場に近い水道の東側を渡ってくると予想していましたが、日本軍は中央から西寄りに上陸。ケッペル港とテンガ飛行場を制圧すると同時にブキテマ高地を奪い、まっすぐにシンガポール市街を目指す作戦を採りました。

ブキテマ三叉路の争奪は激戦となりましたが、なんとか英軍の抵抗を排して突破。防衛側の東西の連絡を分断し、さらには戦車部隊もジョホール水道を渡り終えたことで大勢は決しました。

第1次シンガポール攻略戦
日本軍参加兵力:兵員1944 火砲822 車両54 後方3600
日本軍損害:兵員79 火砲22 車両2 後方0
連合軍参加兵力:兵員726 火砲400 車両20 後方0
連合軍損害:兵員726 火砲400 車両20 後方0
シンガポール占領(第3軍)


震号作戦開始前に、梅津美治郎大将に代わって第3軍の指揮をとった山下奉文中将と、英シンガポール防衛軍総司令官・パーシバル中将の会見が10月25日夜に行われました。当然、有名な「イエスかノーか」のやりとりもありましたが、伝えられているほど強硬な姿勢ではなく、あくまで穏便に降伏の方向に話を進めたというのが事実のようです。

太平洋戦記,太平洋戦争,大東亜戦争,攻略

シンガポール攻略に成功して油断をしていたわけでもありませんが、不意をつかれました。重慶を攻略したばかりの第4軍に対して、西の内江から逆襲です。

第1次重慶防衛戦
日本軍参加兵力:兵員2176 火砲714 車両48 後方0
日本軍損害:兵員127 火砲12 車両3 後方0
連合軍参加兵力:兵員1269 火砲735 車両7 後方12729
連合軍損害:兵員507 火砲319 車両1 後方853


2個師団以上の敵軍を壊滅させ、逆襲は見事に撃退しましたが、日本側もかなりの損害を被りました。内江には飛行場があり、ソ連製の『SB2軽爆』が配備されているので、早いとこ潰したほうがよさそうです。

仕返しではありませんが、貴陽から雲貴(ユンコイ)高原〜横断(ホントゥワン)山脈を文字どおり横断してビルマのミイトキーナを目指す、紺(こん)号作戦を発動しました。

第1次安順攻略戦
日本軍参加兵力:兵員18 火砲783 車両54 後方50
日本軍損害:兵員0 火砲0 車両0 後方0
連合軍参加兵力:兵員11 火砲8 車両1 後方9
連合軍損害:兵員2 火砲2 車両1 後方1
安順占領(第5軍)


第10ターン(28〜31日)
太平洋戦記,太平洋戦争,大東亜戦争,攻略

10月30日、旧英領マレーが「マレー共和国」として独立を宣言するとともに、英国に対して宣戦を布告しました。

英領マレーの一部であったシンガポールは、マレー共和国の一部ではなく、自治共和国として独立することを宣言。戦略的価値の高いシンガポール港が、再び戦火に見舞われる事態を回避するためです。

独立と同時に、シンガポール市街は「非武装都市」であると宣言した。進駐していた日本軍も公式には撤退し、港湾警備は別として、市街地に足を踏み入れる時は非武装にする建前になった。

しかしながら、この宣言により、英米などの軍隊が、あえてシンガポール市街を戦場としたり、武装して進駐したりすれば、国際法に抵触することになってしまう。(「真・大東亜戦争」より)

重慶からさらに奥地へ進みます。やや拙速の感もありますが、放っておくと癌になりそうな内江攻略(結4号作戦)から。

第1次内江攻略戦
日本軍参加兵力:兵員243 火砲702 車両45 後方450
日本軍損害:兵員0 火砲0 車両0 後方0
連合軍参加兵力:兵員860 火砲468 車両6 後方12518
連合軍損害:兵員2 火砲16 車両0 後方20
内江占領(第4軍)


重慶に逆襲なんかしてきたわりには、国府軍、守勢に回ると弱体です。あっさりと退却しました。

順調なビルマ戦線、次は、ラングーンに次ぐビルマ第二の都市・マンダレー攻略(玉5号作戦)です。国土のほぼ中央に位置し、英国の支配下に入るまでは最後の王朝の都だった町です。

日本側の投入兵力1個師団に対して、英軍は2個師団弱で数的優位を保っていたものの、その戦意は低く……

第1次マンダレー攻略戦
日本軍参加兵力:兵員243 火砲815 車両50 後方450
日本軍損害:兵員15 火砲15 車両2 後方0
連合軍参加兵力:兵員459 火砲259 車両30 後方290
連合軍損害:兵員53 火砲20 車両2 後方3
マンダレー占領(第1軍)


……という結果になりました。

紺2号作戦、発動。

第1次六盤水攻略戦
日本軍参加兵力:兵員2037 火砲783 車両54 後方4500
日本軍損害:兵員0 火砲0 車両0 後方0
連合軍参加兵力:兵員8 火砲5 車両0 後方7
連合軍損害:兵員2 火砲2 車両0 後方1
六盤水占領(第5軍)


大陸各地で日本軍、破竹の勢いです。

新たに設営された遵義飛行場から、400機近くの『99式襲撃機』が飛び立ち、四川省の中心都市・成都の防御陣地をを爆撃します(結5号作戦)。

第1次成都爆撃戦
日本軍攻撃隊:爆撃機190機
撃墜:爆撃機4機
戦果:陣地690低下 後方40

第2次成都爆撃戦
日本軍攻撃隊:爆撃機190機
撃墜:爆撃機3機
戦果:陣地680低下 後方40


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