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軍港施設(官衙〜学校など)

呉海軍軍需部

大砲・魚雷などの兵器から、燃料・弾薬・乗員の食糧・衣服にいたるまで、一切の軍需品を受け入れて保管しておき、供給を行う部署。
呉軍港における軍需品の量は膨大なものであったため、第一区(鎮守府本庁舎下の岸壁)、第二区(第一上陸場北側)、第三区(二河川川尻西側)に分かれて、広大な地所と倉庫が設置されました。
第二区には、当時は入江になった係船池があり(現在の「ゆめタウン呉店」の場所)、毎日、そこへ沖の艦艇から内火艇を仕立てて生糧品を受け取りに来ました。冷凍倉庫が自慢で、野菜や魚肉が冷凍されていつまでも生のままで新鮮さを保たれていたのです。最新式のパン焼きかまどでは、何千人分というパンが短時間ででき上がりました。裁縫工場では女子工員の手によって、被服や艦内用の衣料品、軍艦旗、信号旗などが縫い上げられていきました。

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呉海軍工廠

1889年(明治22年)呉鎮守府設置と同時に「造船部」が設置され、1903年(明治36年)の組織改編で呉海軍工廠が誕生します。
東洋一の設備と言われ、工員数は横須賀・佐世保・舞鶴の3工廠の合計以上、造艦能力を持つ工廠としては帝国海軍最大の科学の殿堂でした。
他の工廠にはない「砲熕部」(砲身・砲塔の製造・開発)と「製鋼部」(装甲鈑の製造・開発)が設置され、ここで『大和』の46cm主砲や410mm装甲鈑、さらには三菱重工長崎造船所で建造された『武蔵』の主砲塔・砲身も、呉工廠で製造されたのです。

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広海軍工廠

1920年(大正9年)、呉市街地から東に山越えした広村に、航空機製造のための支廠が開設され、3年後に独立して広海軍工廠となりました。海軍機の製作・整備の一大工場として、日中戦争前には約3000人の工員を抱えるほどに拡充されたのです。

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呉海軍航空隊

1931年(昭和6年)、広海軍工廠の対岸に呉海軍航空隊が開設されました。事実上の水上機基地で、呉鎮管内の空中防御・海面防御や呉鎮所属艦艇の艦載機調達に従事していました。
1934年(昭和9年)に陸上飛行場も造成されましたが、滑走路が短く、運用上の不都合が多かったため、呉鎮所属の空母艦載機は宇佐海軍航空隊や岩国海軍航空隊で訓練・補給・休息を実施していたそうです。

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呉海軍病院

呉のような軍港の海軍病院は、患者の診療だけでなく、艦船や部隊の医務科に治療品を供給する役目も持っていました。さらに「練習部」という部門も備えて、看護兵・看護兵曹(昭和17年11月に衛生兵・衛生兵曹と改称)の養成・教育も行っていたのです。

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海軍潜水学校



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水交社

海軍士官・特務士官・候補生・高等文官が資金を出し合って設立・運営した互助倶楽部。東京に本社があり、各軍港・要港などに支社がありました。
海軍記念日をはじめ、さまざまな祝賀会はほとんど水交社を会場として開催され、宿泊・食事・入浴の設備はもちろん、運動・娯楽の施設や購買部門もあって、利用者の便宜を図っていたのです。

呉海軍下士官兵集会所


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